呉興烏程開元寺ー唐・李季蘭呉興烏程開元寺ー唐・李季蘭

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概要・あらすじ概要・あらすじ

「呉興烏程開元寺 ー唐・李季蘭ー」湊令子(歴史小説 75枚 PDF)「長安の冬、江南の春」と謳われた唐は大暦の頃。江南は太湖のほとりに伽藍を構える名刹・開元寺の一隅に庵居を営んだ道教の女冠、李冶(字は季蘭)の晩年の物語。薔薇花を詠んで、父を嘆かせた幼い日より「季蘭は神童よ、才女よ」と世に騒がれる。ようやく安史の乱がやんで、国家の騒擾と疲弊から逃れて平和を求める名だたる詩人、文人、隠者たちが、多数江南の地へと南下してきていた。時に、また安禄山の乱を平定するに戦功あった顔魯公真卿も、湖州刺史としてこの地に下ってこられた。公の赴任にさいしては、戦乱のため20余年中断していた畢生の著作「韻海鏡源」(360巻)をおおかたの助力を得て完成させたいとの目的がおありだったとか。編纂に参画するもの天下の才子90余人。皎然和尚は、六朝・宋の高名なる詩人謝霊運の十代の孫であり、禅僧として詩僧として当代を席巻する高僧。張玄真子( 張志和、東陽は金華の人・字は子同)どのは、わずか十六歳で科挙の明経に合格したほどの英才でありながら、望みのままの官職をなげうって野に下った隠逸の道士。かたや陸羽(楚の人、字は鴻漸)どのといえば、名も素性も知れぬ捨て児の身の上、禅を捨て、虚を捨て、俗を捨て、山野に自在に生きる茶ひとすじの風癲の御仁。そして、その莫逆の友を誓うお三方のかたわらで、及ばずながらも当代の女詩人として、気の置けない朋友として、対等に扱われるわたし、李季蘭という存在。だからといって女にとって、この世はいつの時代であれ生き易いとは言いがたいのだろうが。孤独とは無そのもの。しかし無はあるがままを観る。長い波乱の日々を経て、古稀も間近な今、いまは薔薇花を詠んでも往年の気負いもなくなってしまったようだ。
カテゴリカテゴリ 歴史・時代 ファイルファイル PDF形式
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タグタグ 中国 唐代 李季蘭
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